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サントリー美術館
サントリー美術館

東京都港区赤坂9-7-4 :六本木・東京ミッドタウン ガレリア3階
「東京ミッドタウン」 21世紀の日本を代表する街、世界に類を見ない独創的な街が誕生しました。


In commemoration of the completion of the Heisei renovations to the Phoenix Hall of Byoboin

Celestial Dance: The Art of Hiten

平等院鳳凰堂の国宝、特別公開! ― 天上の舞 飛天の美

国宝《阿弥陀如来坐像光背飛天》を間近で、そして寺外で見られる最初で最後の機会!


 空を飛び、舞い踊る天人は「飛天」と呼ばれ、その優美な姿は、インドから西域、中央アジア、中国、そして日本と、仏教伝来とともに浄土世界の表現として、寺院の壁や柱などに表されてきました。 それから二千年以上経た現代においても、飛天は幻想的かつ美しいイメージをもって捉えられています。 このことは、各地域、時代を超えて、いかに人々がその姿に魅了されたか物語るもので、人類の飛ぶことに対する憧れ、さらには天上世界への願いの強さを読み取ることもできるでしょう。

 本展は、古来人々が憧れてきた飛天の姿を、日本の古代から中世を中心としながら、ガンダーラ、西域、中国などの作例も交え展観するものです。 各地域、時代における造形の違いをご覧いただきながら、あわせて飛天舞う浄土を描いた絵画や、浄土を飾るものとして造られた工芸作品をご紹介します。

 この度、極楽浄土として平安の世から名高い国宝・平等院鳳凰堂が、およそ半世紀ぶりに修理となり、平成二十六年(二〇一四)春に落慶を迎えられます。 これを記念して、平等院の特別協力を仰ぎ、我が国における飛天の代表作の一つとして知られる国宝《雲中供養菩薩像》を公開するとともに、普段は堂内にあって本尊を取り囲む国宝《阿弥陀如来坐像光背飛天》を寺外で初めて公開します。 この機会でしか間近でご覧いただけない屈指の名宝を、堂内のきらびやかな荘厳具とともに、諸天人が舞い踊る華麗な世界を、ご堪能ください。…主催者


平等院鳳凰堂 平成修理完成記念
会期:
2013 11/23(土・祝)~2014 1/13(月・祝) 展覧会は終了しました。
休館日:毎週火曜日 【1/7(火)は開館】、12/30(月)~1/1(水)
開館時間:10時~18時 ※金・土、および 12/22(日)、1/12(日) は20時まで開館。
【12/27(金)、12/28(土) は年末のため18時で閉館】
 ※いずれも入館は閉館30分前まで
※作品保護のため、会期中展示替を行います。

会場:サントリー美術館 六本木・東京ミッドタウン ガレリア3階



画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。

「天上の舞 飛天の美」 サントリー美術館展示室

「天上の舞 飛天の美」 サントリー美術館展示室
プレス内覧会 '2013 11/22


国宝 《雲中供養菩薩像》 にふれる ― ほとけの結縁 ―

国宝《雲中供養菩薩像》 の模刻像の1軀に実際に触れ、平安時代の造形を肌で感じていただきます。


「展示構成」   ―本展覧会 「News Release」 「天上の舞 飛天の美:図録」より抜粋して掲載しています―

 本展では、日本の古来から中世を中心とした様々な飛天の姿を、浄土図や荘厳具類などに見られる浄土の表現も交えながら、彫刻・絵画・工芸にわたって広く展観します。 飛天誕生の地であるインドや中央アジア、中国、朝鮮の作例もあわせ、各地域・時代における造形の違いや交流などもご覧いただきます。
平等院鳳凰堂修理落慶前の特別公開として、国宝《雲中供養菩薩像》や、寺外初公開となる国宝《阿弥陀如来坐像光背飛天》 など、鳳凰堂内のきらびやかな荘厳具類とともに、諸天人が舞い踊る華麗な世界を一挙に展示します。

「展示構成」
第Ⅰ章 | 飛天の源流と伝播 ―インドから日本―
第Ⅱ章 | 天上の光景 ―浄土図から荘厳具―
第Ⅲ章 | 飛天の展開 ―来迎聖衆―
第Ⅳ章 | 平等院鳳凰堂 ―飛天舞う極楽浄土世界―


《マーラの誘惑・降魔成道・初転法輪》

第Ⅰ章. 飛天の源流と伝播 ―インドから日本―
 飛天とは、本来天人のことで、仏の世界では飛翔しながら散華し、楽器を奏し、香を焚くなどして、仏である如来を讃嘆供養している。 本章では、ガンダーラや中国、朝鮮の作例も交えつつ、地域、時代ごとのさまざまな飛天の姿の紹介です。

・仏伝浮彫《マーラの誘惑・降魔成道・初転法輪》 片岩 35.6 x 28.8
ガンダーラ (2~3世紀) 龍谷大学
釈尊の生涯をおもな場面ごと、浮彫で表したもの、上段に大きく「マーラの誘惑」の場面では、マーラ(魔王)は、シッダールタ太子の成道を妨げようと、自分の三人の娘を派遣し、甘言を弄して太子を誘惑しようとしている。


《阿弥陀如来及び両脇侍像のうち脇侍像》

第Ⅱ章. 天上の光景 ―浄土図から荘厳具―
 飛天の住む浄土は、菩薩衆や迦陵頻伽、共命鳥などが舞い、樹木や大地には金、銀、瑠璃などの七宝が輝くとされる。 浄土図のほか、舞菩薩や迦陵頻伽などの形像、仏にふさわしい荘厳具類まで、人々が憧れた飛天舞う天上世界が浮かび上がってきます。

・重要文化財《阿弥陀如来及び両脇侍像のうち脇侍像》 二軀
木造・漆箔 58.5 / 56.2 平安時代 (9世紀) 大阪・四天王寺蔵
阿弥陀如来像の脇侍とされ、舞踏する様子は、それぞれ片足で立つ姿で、さらに腰をひねって上体は正面を向く体勢の像。 その特徴的な体勢は、浄土図に描かれる舞菩薩、供養菩薩を立体的に表したものと推定される。


《阿弥陀二十五菩薩来迎図》

第Ⅲ章. 飛天の展開 ―来迎聖衆―
 平安時代の後期になると、極楽往生への強い願いのもと、臨終時に阿弥陀如来及び聖衆が浄土から迎えにやってくる「来迎」の思想が急速に普及しました。 華やかな舞と、妙なる音楽が満ちる来迎の表現を、彫刻・絵画作品に見ていきます。

・重要文化財《阿弥陀二十五菩薩来迎図》 一幅 絹本著色
180.3 x 76.3 鎌倉時代 (13~14世紀) 福島県立博物館蔵
画面右下の邸内の往生者を迎接するために来迎した阿弥陀如来と思い思いに舞う姿の二十五菩薩と、二飛天等を表している。 往生者に阿弥陀から発せられた光条が降り注ぎ、色とりどりの木や草が一斉に華を咲かせ、浄土が現前した瞬間を表している。


《雲中供養菩薩像》

第Ⅳ章. 平等院鳳凰堂 ―飛天舞う極楽浄土世界―
 寺外初公開となる本尊の光背の国宝《阿弥陀如来坐像光背飛天》や、雲に乗りながら楽器を奏し、様々な姿で舞う国宝《雲中供養菩薩像》など、普段は堂内にあって本尊を取り囲む像は、屈指の名宝でありながら、修理中でしか間近でご覧いただけない、秘仏的な存在です。

・国宝《雲中供養菩薩像》 52軀のうち14軀 木造・彩色・漆箔・截金
平安時代 (1053) 京都・平等院蔵

《雲中供養菩薩像》 は、尾をなびかせた雲の上で、楽器を奏したり、舞いながら、天空で供養讃嘆する。 北=1の菩薩像は、目線を下方に落とし、両脚部に置かれた筝を弾く姿の像である。



平等院 鳳凰堂

宗教法人 平等院 鳳凰堂
〒611-0021 京都府宇治市宇治蓮華116 Tel: 0774-20-2861

平等院鳳凰堂の歴史

宇治の地は大和から北方に通ずる交通の要衝として古くから重視されたところで、平安京の時代になると、琵琶湖の水を集めて流れる宇治川が山峡を出て、西方に開けた平地に注ぐ位置する宇治一帯は、夏は涼しく、冬は暖かい点では、京内にくらべて格段の差があり、その山と水の景勝に恵まれていたため、貴族階級の別荘地となった。

平等院の前身といわれるものは、宇治郷にあった左大臣源 融の別業である。 895年源 融が没してから、宇多天皇の所有となって「宇治院」と呼ばれたという。 道長が宇治院(宇治殿) を入手してから、建物や庭園について修築を加えたようで、客人と共に、舟に乗って詩を作り、管絃・聯句・和歌の会を催して楽しんだことが 『御堂関白記』 『小右記』 『雲州消息』 などに見えてくる。

1027年道長が没すると、宇治殿はその子頼道に伝えられた。 1052年関白頼道は宇治殿を寺院として、平等院と号して、1053年待望の阿弥陀堂を建立し、盛大に落慶供養を営みました。 それが今日の鳳凰堂なのです。
1074年頼道没後もその娘寛子(後冷泉天皇の皇后)などにより法要が営まれ維持されました。 しかし藤原氏の勢力が弱まるにつれ、藤原一族の氏寺としての性格を持つ平等院は昔日の面影を次第に失ってゆきました。

また、宇治は交通の要衝であったために何度か戦いの場となりました。 1180年、治承の乱(源平の戦い)で源頼政挙兵し、平等院で自刃する。 1184年、源義経と義仲の戦い、さらに鎌倉時代に入った1221年、承久の乱には、後鳥羽上皇と北条義時、泰時とが激しく戦っています。 1336年に平等院は楠正成と足利尊氏との戦火に巻き込まれ、正成が戦術上、町へ放った火が寺内に燃え移り、阿弥陀堂をのこして堂塔の大半を失うことになりました。
幸運に中心的な存在であった阿弥陀堂は奇跡的に残ったのです。 ただ平等院そのものは執印(住職)を失い、有力公家の没落の中で衰退の一途をたどる運命となりました。

平等院の地に初めて貴族の別荘を開いたのは、嵯峨天皇の皇子で臣籍に降った左大臣源 融 (『源氏物語』 の主人公で寝殿造・邸宅「六条院」の主、 光源氏のモデルといわれる。) である。 別業(貴族の別荘)は融の没後宇多天皇が所有して宇治院と呼ばれていた。 さらに六条左大臣源重信(宇多天皇の孫) が継ぐが、重信没後四年目の長保元年(999)藤原道長が譲り受ける。そして頼道へと伝えられた。 頼道が平等院として、阿弥陀堂と共に園池を整えた時の美しさは想像に余りある。


お問合せTel:03-3479-8600
サントリー美術館公式サイト:http://suntory.jp/SMA/
主催:
サントリー美術館、朝日新聞社
協賛:三井不動産、三井住友海上火災保険、サントリーホールディングス
特別協力:平等院
助成:芸術文化振興基金助成事業


参考資料:NEWS RELEASE No.11857、「サントリー美術館ニュースvol.247」、「天上の舞 飛天の美」図録他。
※写真撮影などの掲載は、主催者の許可を得て行っております。
※画像の無断転載禁止


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